第十回泉岳寺講談会
残暑お見舞い申し上げます。
今回は初めて寄らせていただいた泉岳寺講談会について記します。
泉岳寺講談会は2021年10月14日に第一回を開催。開催前から講談協会、日本講談協会による30年ぶりの共催ということが話題になっていました。毎月14日に開催ということもあり、会社勤めには平日昼はなかなか難しいですが、8月は日曜ということもあり今回出かけてみました。
泉岳寺は以前お参りに来たことがありますが(参照:ブログ「暮れの泉岳寺」)、講堂は初めてです。
開場前にはすでに10名程度の列ができていました。
今日はなにが聴けるんだろう?そりゃ義士伝だろうよ!という脳内一問一答をしているうちに開場です。
第10回泉岳寺講談会
前講 一龍齋貞介「橋弁慶」
前講 神田陽菜「奴の小万」
神田桜子「般若のお作 お作の本性」
神田阿久鯉「難波戦記 長門守木村重成の最期」
-仲入り-
田辺凌鶴「生か死か」
一龍齋春水「前原伊助 姉弟の仇討」
(12:30開場 13:00開演 15:30頃終演)
感染対策で一席ずつに距離をとった椅子の自由席。80~100名程度が入れるでしょうか。この時期は室内の温度調整が大変かと思いますが、係の方が開演前と仲入りに細かく聞き取りをしてくださいました。
開場から開演までの間に僧侶による読経。
思わぬ展開にドキドキしつつ手を合わせて神妙にするわたし。
前講は2本、各協会から1名ずつということでしょうか。おそらく。静(貞介さん)と動(陽菜さん)のような対照的なお二人でした。
桜子さんは気になっていた方だったので聴けてうれしい。さばけた高座、聴きやすいお声、しかも毒婦伝!
本日の大本命、阿久鯉先生。蘭奢待(らんじゃたい)は中国から渡ってきた香木。このお香に重成の覚悟と矜持が表されているのですね。戦場に駆け付ける疾走感、最期の潔さ。敵も味方もなく、彼の意をくみ取った家康の大喝一声「だまらっしゃい!」のところでわたしの涙腺は決壊しそうになりました。阿久鯉先生の悪党もいいけど、戦記物の重厚感にしびれまくりました。
凌鶴先生、数度しか高座は拝見したことないけれど、なんだろうこの親しみやすさ。親戚の伯父さんにいそうだよ(失礼しました)。読み物は田辺南鶴先生による実話を元にした創作講談「生か死か」。終戦記念日前日だからか、復員兵の心の叫びとさみしさにしみじみと感じ入りました。
春水先生は初めてでした。声優界のレジェンドなのですね? 確かにお声の美しさとお声の表情に惹きつけられました。なんという運命のいたずらなのか、というお話。最後に伊助は自分が仇だと言わなくてもよかったのでは、と思いましたが、ここで知らずにいたらこの姉弟は生涯を敵討ちに費やさねばならないから、やはり言うのがよかったんだよね…と考えてしまいました。
好きな先生ばかりめざしてしまう自分ですが、こういう両協会の先生方が色とりどりにご出演する会へ出かけて、いろいろ高座を拝見するのもいいなと思いました。泉岳寺講談会、また休日開催の折には出かけたいです。
正直わたし自身、両協会の確執についてはよくわかっていません。
しかも、どの先生がどちらの協会とかもよく把握していない…。特にそれで困ることもないので調べようともしていません。好きな、気になる講談師さんを聴きに行く、といういたってシンプルでフラットな感じで講談をたのしんでいます。
でもここまでの長い間の確執、空白はやはり相譲れないことがあったからなのだろうと。だからこの講談会が何かしらの変化、よい影響となってゆけばいいなと思います。上方も…
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