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わたし

新田の伊七と神田伯龍 その3 ~佐原の寄席~

神田伯龍が口演し新田の伊七が訪れたという佐原の寄席とはいったいどこのことなのでしょう? 前回の記事での推測をもとに、明治時代半ば(1885年前後)の佐原の寄席について調べていきます。



■佐原(さわら)の概要

現在の香取市の北西部、旧佐原市の中心部に位置する。小江戸三市の一つ。佐原の町並みは平成百景・重要伝統的建造物群保存地区、商家町の歴史的町並みは日本遺産に認定されている。日本地図作成者として有名な伊能忠敬が商人として活躍した地でもある。

佐原から利根川を渡ると、「天保水滸伝」では「潮来の遊び」でおなじみの茨城県潮来市。


1889年千葉県香取郡佐原町(さわらまち)町政施行

1898年佐原駅開業

1951年佐原市制施行

2006年市町村合併により香取市(かとりし)となる



■調査実施

はやる気持ちがわたしを佐原へ向かわせました。

その土地のことはその土地の人に訊け、とばかりに香取市立佐原中央図書館へいざいざ。

時間が限られていることもあり、さっそく図書館員さんにレファレンスをお願いしました。レファレンス・インタビューの後、何点かの郷土資料を提示。

資料を見ながらレファレンス担当の方、佐原でずっと育ってきた方もまざり、親身に相談に乗ってくださいました。その後、実地に佐原の街並みを散策し帰宅。(伊能忠敬記念館へも行きました!)

後日、追加調査を国会図書館などで行いました。



■調査のヒント(図書館員さんとお話しながら様々なヒントをいただきました!)

・明治時代に寄席だったとしても、後年その他の遊興場に変化しているかもしれない。

→ 映画館、パチンコ店など

・現在、ゼンリンなどが出している住居表示のある地図は昭和以降のみ。明治時代には存在しない。

  → 観光案内に地図が付いている可能性はある

・佐原駅が開業したのは1898年。それ以前は町の中心地は別の場所だった可能性があるので(旧宿場町など)、現在の繁華街のみに絞り込まない方がよい

・寄席ではなく、旅館の二階や大広間のある料亭などの可能性

・「さはらタイムス」という地域新聞があった。有名な講談師が来たのであればニュースになっていないか?

  → 明治41年創刊なので、間に合っていないか…



■調査結果(2022年12月時点)

・2022年現在、佐原のある香取市に常設の寄席はない

・明治半ばに寄席が存在していたかは不明。大正時代に「改進亭」という寄席があった。その他、大正期に「坂本座」という芝居小屋、昭和期に「佐原演芸館」があった。

・神田伯龍が佐原の寄席に出たという情報は見つからず


残念ながら、佐原の寄席を特定することはできませんでした。

ただし、もしやこれは?という結果を記したいと思います。



〇古い地図を調査

1930年時の「千葉縣佐原町鳥瞰」※1をつぶさに調査

寄席っぽい名称を探してみる。「壽座」というものを見つけるが確証得ず。


〇昭和中期の地図を調査 ※2

映画館やパチンコ店となっている場所が「千葉縣佐原町鳥瞰」ではどうなっているかを比較。「パチンコ リボン」になっている場所が元「壽座」のようだ。あやしい?

映画館「オデオン座」は鳥瞰図にそれらしきものなし

映画館「シアター サカモト」は元「坂本座」である



一番古い佐原の観光案内を調査

一番近しい情報をここで発見!

1914年発行『佐原案内』※3の「劇場と寄席」という項に寄席「改進亭」、劇場「坂本座」を発見! 項目を読むと、改進亭は浪花節(浪曲)の寄席だったようだが、もしや?もしや!

「坂本座」は松本幸四郎などが出たりする新派の劇場のようだが、講談の興行がうたれてもおかしくないか?

鳥瞰図に「坂本座」は見当たるが、「改進亭」は見つけられず、明治期にはまだ存在していなかったのか?


〇地域新聞を見てみる 明治41年より刊行された「さはらタイムス」※4をざっと見てみるが、演芸に関するニュースは見当たらず。ただ、講談の速記が連載されていたり(明治44年時、寺島東州講演「伊賀の水月」)、「さはらタイムス」と関係の深い出版社である正文堂からは明治20年に「慶安太平記」の発行があったりと、都市のみならず地方での講談の隆盛を感じることができました。



■調査を終えて

調査の過程を書き出すときりがないほど紆余曲折あったのですが、とてもたのしかったです!

真正面からの調査だけではなく、時には別視点、角度を変えた調査から思わぬ収穫があるという醍醐味にもワクワクしました。存在しなくなったものを探す、知る、という難しさも実感…



はっきりした結論は出ませんでしたが、寄席がまったくなかったとも言い切れないことはわかりました。

ともあれ、ふと頭をよぎる不穏な疑問…

新田の伊七って実在したの? このエピソードは本当なの?(遠い目)


いやいや…もう少しチャンスをください。

次は新田の伊七に迫ってみたいと思います。


<つづく>



参考資料

※1 「千葉縣佐原町鳥瞰」昭和5年1月写生 松井天山/筆

※2 「佐原市」(ゼンリンの住宅地図) 1971 年および1985年刊 住宅地図出版社

※3 「佐原案内」大正3年(1914年)中村写真館/刊 篠塚猶水/編

※4 「さはらタイムス」さはらタイムス社 1908創刊(終刊不明)


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