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初代快楽亭ブラックのお墓参り(横浜散策)

みなさま、お久しぶりです。

病気療養のためここ半年は開店休業状態で静かに過ごしていましたが、体調も快復してきたこともあり、久々のフィールドワークを計画しました。このサイト「わたしの講談事始」が2024年6月で9周年ということもあり横浜散策へ。


なぜ横浜か?

それは、探偵講談をまとめるにあたって読んだ『決定版 快楽亭ブラック伝』(小島貞二著)がきっかけです。横浜元町は外国人居留地があったこともあり、ブラックやブラックの父・ジョン・レディ・ブラック氏にも縁の深い土地でした。歌唱を得意としたジョン・レディ・ブラックは外国人居留地にあったゲーテ座にもアマチュア出演していたとか。また、ブラック本人の初高座は横浜の寄席でした。

そして、横浜外国人墓地にはブラック一家が眠ります。

横浜元町を散策し、ブラックのお墓参りをしようというのが本題です。


中国茶と肉まん、ドライフルーツのセット
悟空茶荘

まずは横浜中華街で腹ごしらえ。

朝早かったので、中国茶で目を覚まそうと入った悟空茶荘。1階は中国茶や中国菓子、茶器が買えるショップ。2階が喫茶です。

ゆったりとした店内。各テーブルでシュンシュン湧くポットに胸が躍ります。白茶と軽食のセットにしました。

店員さんがお茶や飲み方、2煎目以降の入れ方を教えて下さるので何も知らなくてOK。白茶は緑茶のことですが、棒状の茶葉は初めて見ました。味も普段飲んでいる緑茶とは一味違います。ゆっくり茶葉が開いているのを眺める時間が心地よかったです。いつまでもいられそうですが、ブラックへのはやる気持ち。

いざ向かうは外国人墓地。



横浜外国人墓地入口
横浜外国人墓地の公開順路案内図
公開順路案内図 「6 ブラック」とあり

横浜外国人墓地の一般公開は週末に実施されています。入口で維持保存のための募金(500円)をし、墓地の案内図をいただいて入場。公開用に決められたルートを巡ります。案内図には28柱の紹介がありますが、墓地内には他にもたくさんのお墓がありますので、ブラックのお墓を見逃さないように注意。



ブラック一家の墓

ルートを巡りはじめた早々、ありました!

父ジョン・レディ・ブラック、母エリザベス・シャーロット、息子ヘンリー・ジェームス(快楽亭ブラック)、妹エリザベス・ポーリンの眠るお墓です。


快楽亭ブラックの標石

樹木にかくれるように、右には橘左近による寄席文字の「快楽亭ブラック」という石柱。これは快楽亭ブラックの研究会により1985年に除幕されたものだそうです。



一番下段にHENRY JAMESとあり

一番下段にHENRY JAMESと刻まれていますが、妹さんの墓石の奥を覗き込むようにしないと見えません。


偉大な父と家族に芸人稼業を責められたブラック。一時期は芸人を辞めて英語教師になるなど、家族との軋轢はかなりあったようです。ブラックの口演中に客席にいた弟ジョン・レディが突然立ち上がりブラックを罵倒したというエピソードを思い出して暗い気持ちになりました。(ちなみに弟さんのお墓は神戸の外国人墓地にあるそうです)


いまはこうして家族一緒のお墓に静かに眠っています。

芸人としての浮き沈みもあり、晩年は寂しいものだったように伝記には書かれていましたが、ブラックの残した探偵講談、西洋人情噺、催眠術、レコード吹込みなど功績はたいへんなものです。



入場するときにスタッフの方が「基本的に土葬なのでひとつひとつのお墓は大きいですよ」とおっしゃっていました。ブラックだけでなく、日本に居住し日本のために貢献した方々。お天気はいいですがうっそうとした緑の中、人もまばらな墓地でしたので、想いを馳せながら静かに巡ることができました。



山手だけあって坂道、階段にはへとへとになりましたが、港の見える丘公園でひといき。見ごろの薔薇が目の保養。見渡す海と港に心がパッと広がるよう。

薔薇が見ごろ
港の見える丘公園
海と横浜港
港の見える丘公園


丘を下ってウチキパンでお土産購入。少々疲れも出たので、まだ早い時間でしたが帰途へ。


ゲーテ座跡地に建てられた岩崎博物館内にある山手ゲーテ座へも行きたかったのですが、また次の機会に。

伝記を読み、残る音源でブラックの声を聴き、ブラックの残した探偵講談を現代の実演で聴きました。そして今日、やっと挨拶に来られたな、とホッとしました。

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