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わたし

思い出(はじめての大阪)

2011年2月9日から11日、はじめて大阪へ行った。

当時一番好きな落語家さんが天満天神繁昌亭の定席へご出演されるとあり、それをよい機会にはじめての大阪見物、上方落語を観に行ってみようと思い立ったのだ。

そのときの上方落語での思い出や出会いは、偶然と引きの強さが重なり、大事な思い出となった。そして、今でもそのつながりは大切なものとなっている。

このとき、何を思ったのか大阪で講談も聴いている。

第16回講談毎日亭 如月一週間(第一日目) @雀のおやど(鶴橋)

旭堂南青「明智光秀」

旭堂南湖「探偵講談 琉球ハブ娘」

旭堂南海「大石内蔵助」

雀のおやどは桂雀三郎さんが主宰されている席(だから雀なのね)。当時、旭堂南湖さんは東京での会を定期的に開催していたように記憶している。友人に誘われ、お江戸両国亭へ行ったりしていたので記憶にあり、それでこの会にも行ってみようと思ったのかもしれない。

鶴橋の駅を降り、焼肉屋が軒を並べる町をきょろきょろたどり着いた先、受付をされていたのは昨日繁昌亭で書生節を歌っていた方だった。そう、旭堂南海さんご本人。驚。

階段をのぼり、ちょっと秘密倶楽部のよう。うなぎの寝床みたいな和室に入る。 真新しく綺麗で、座布団も厚い。予想通りそこにいたのは「講談は百年前から聴いています」というような黒帯な常連さんばかり…

この当時、講談をよく知らないがゆえに、わたしは講談を怖いと思っていた。なにが怖いのか? なにかその世界のお作法、暗黙の了解があり、それに反れると冷ややかな排除をされるのではないかという緊張。ことに、常連客の演者および新参客にたいする厳しさを想像して恐れていた。

違った。

この講談会のお客さんはやさしかった。親切だった。

「座布団二枚敷くと楽やで、自分のいいようにしぃや」と言ってくれた。

見ず知らずのわたしにも、「おひとつぞうぞ」とチョコをまわしてくれた。

はじめての大阪、見知らぬ鶴橋という町で心細く、怖いと思っていた講談会で、見知らぬ客に対して笑顔で迎えてくれるような雰囲気の会。とてもありがたかった。もちろん講談もたのしかった(初日だったのでほとんど主人公がでてこなかったけど)、美学を感じた。

この夜のよい印象が、これ以降の講談へ、勇気をもってふみだしていく大切な経験となった。大げさだけど、本当にそうだと思う。思っている。

会のあと、阿波座(たぶん)へのみに行った。そのお酒のおいしかったこと、たのしかったこと。宿へ帰るころは粉雪が降り始めていた。

よい思い出。

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