THE定番
よく高座で出会うような定番の演目や登場人物たちを取り上げてみたいと思います。
おすすめの本はこちらへどうぞ!
「天保水滸伝」
世話物(侠客物)
笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう)
1810~1847(文化7~弘化4)
江戸後期の博徒。下総国須賀山村(香取郡笹川)の酒造家の子。本名:岩瀬繁蔵。相撲をよくし、一時江戸へ出て千賀の浦部屋に入るがその後帰郷。賭場への出入をするようになってから徐々に認められ、貸元、十一屋(旅籠)の跡目を継いで利根川沿岸の大親分となる。諸国の親分衆を集めて開いた笹川の花会が有名。縄張り争いから飯岡助五郎に暗殺された。講談・浪曲の「天保水滸伝」では善玉として描かれている。
「畔倉重四郎」
騒動物(大岡政談)
畔倉重四郎(あぜくら じゅうしろう)
~1726(~享保11)
有馬玄蕃頭の浪人畔倉重左衛門の息子。「美男と言殊に手跡も能其上剣術早業の名を得し者」。当時25歳くらい。穀屋平兵衛の殺害をはじめとする数々の犯罪を犯し、享保11年(1726年)大岡越前守忠相に裁許され、上千住小塚原において処刑される。
「徳川天一坊」
金襖物(大岡政談)
大岡忠相(おおおか ただすけ)
1677~1752(延宝5~宝暦元年)
江戸時代前期-中期の武士、大名。
大岡忠高の4男。享保2年8代将軍徳川吉宗によって江戸町奉行にとりたてられ越前守(えちぜんのかみ)と称した。公正な裁判,物価の安定,町火消の結成,小石川養生所の設立などに力をそそぎ名奉行といわれた。のち寺社奉行。寛延元年奏者番をかね,加増されて三河(愛知県)西大平藩主となった。1万石。宝暦元年12月19日死去。75歳。通称は市十郎、忠右衛門。「徳川天一坊」のほか、「慶安太平記」「村井長庵」に登場。
「村井長庵」
騒動物(大岡政談)
村井長庵(むらい ちょうあん)
天保の頃(1840年頃)
三河(愛知県)の貧農の生まれで、出世を願い江戸へ出て麹町の町医者となる。義弟重兵衛が娘を吉原に売った金を奪い殺害。その罪を自分の患者である浪人になすりつける。その後も実の妹を仲間を使って殺害するなど、極悪非道の限りをつくすが、やがて大岡裁きの前に罪を白状。河竹新七(黙阿弥)により「勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)」として歌舞伎化された。
「宮本武蔵伝」
武芸物
宮本武蔵(みやもと むさし)
1584~1645(天正12~正保2)
江戸前期の剣豪。十手の名人新免無二斎の子。生まれは美作・播磨ともいう。名:政吉、玄信、二天。関ケ原の戦で西軍に加わる。のち諸国を遍歴し、吉岡清十郎らと立ち会い二刀流の奥義を開眼する。生涯60数回の試合に敗れたことなしといわれる。とくに1612(慶長17)豊前国船島での佐々木巌流との試合は有名。のち小倉藩に留まり、さらに熊本藩主細川忠利の客分となった。この間、大坂の陣、島原の乱鎮圧軍に加わったともいわれている。剣術のほか、絵画・彫刻・近郊にもすぐれていた。著書に「五輪書」がある。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」
侠客物(新作講談)
東映やくざ映画の後期を代表する人気シリーズ「仁義なき戦い」の第二作目、広島死闘篇を講談化。監修に落語作家の今井ようじ氏を迎え、旭堂小南陵、旭堂南龍の両先生により初演。
戦後の混乱期の広島、ふとした出会いから、博徒村岡組組員となった山中正治が、暴力と計略に翻弄されながら、ヤクザの世界で殺人鬼と呼ばれるまでを描く読み物。
「天明白浪伝」
世話物(白浪物)
稲葉小僧(いなば こぞう)